日本人卒業生

 日本

中村 真紀子(旧姓 内田)
(2008年度卒業、2009年度研究科生)

私は、現在、パートナーと共に手づくり、手しごとの小さな農園「手と手」を、愛知・岡崎(旧額田)の美しい山間の地で営んでいます。農園の名前は、共に働く私とあなた、つくり手と食べる人、地域の人たち、そして、世界の人たちとつながる手と手を思い名付けました。この「手と手」のつながりを大切に、日々、土と向かい、自然の営みに学びながら、野菜、茶、米などを育てています。米は自家用分ですが、野菜やお茶はつくり手の私たちと食べる人が直接つながる「提携」という形で、旬のものをセットにしてお届けしています。

農村でお百姓として生きていくことを選んだ時に、私を後押ししてきたのは、数あるアジア学院での学びの中でも、自分にとって一番大きな学びとなった地域開発における『内発的発展』という視点です。簡単に言ってしまえば、それは、農村には「あれもこれもない」という「無いもの探し」をすることではなく、地域の未来を創造的にイメージし、地域に存在する強みや資源を見つけようと「あるもの探し」をしていくことです。答えを外に求めるのではなく、すでに内側にあると信じることが、グローバリゼーションの影響をもろに受け、搾取される側にある世界各地の農山漁村の豊かさを守り、人々の幸せな暮らしを築いていく方法なのです。

アジア学院に入学する以前は、いわゆる“途上国”と言われるアジア・アフリカ・中南米の地域開発援助に携わる国際機関での仕事を経て、『岡崎わんぱく寺子屋』というNPOで、「農」、「地域の歴史」、「伝統文化」、「異文化交流」を柱に、「地域の子どもたちの人間としての根っこを育む」、というミッションを掲げ、プログラムを企画・運営していました。

私は国際援助機関に勤めていた時も、地元でNPOを運営していた時も、常に「無いもの探し」をしていたのだと気付かされました。弱みに焦点を当ててばかりで、常に無いものばかりを探していたので、すでにそこにあったであろう地域資源や強みにはなかなか気付くことが出来なかったのだと思います。ですから、NPOを運営していくリーダーとしての自分にも限界を感じることになったのだと思います。

アジア学院では「フードライフワーク」といって、朝夕に一時間ずつ、どのコミュニティメンバーも必ず農作業に参加し、コミュニティの自給を支えるために共に働きます。研修生は幾つかのグループに分かれ、農作業の計画を立て、グループが担当する家畜と畑を運営します。グループをリードするリーダーの役が順番に回ってくるのですが、私は、初めてリーダーになった時、今までと同じように、目の前の問題にばかり気を取られ、グループメンバーとぶつかるという経験をしました。メンバーの駄目なところばかりを見て、一人一人の中にあるユニークな部分や強みを生かそうという発想に至れなかったのです。ふりかえりの中で、そこを指摘されたことが、私にとって大切な気付きとなりました。

これは私だけではなく、多くの海外研修生にとっても大きな影響を与えていました。海外研修生の多くは、日本は裕福な国だと憧れの様な思いを少なからず抱いて日本にやってきます。それが、研修を通して、経済発展ばかりを追い求めた結果の行き過ぎた開発がもたらした負の部分や、農村が自立できない問題を学ぶにつれ、経済的・物質的な豊かさが必ずしも精神的な豊かさをもたらすわけではないことを感じ取っていきます。それと同時に、何も無くて貧しいと思っていた自分のコミュニティには、これまでは価値がないと思い見過ごしていたけれども、資源になりうる人・物・事が沢山あり、実は何と豊かだったのかということに気づいていきます。「自分の村は経済的には貧しいが、沢山の資源や先人の知恵があり、温かい家族がいる。何て豊かなのだろう!」という言葉を残し、研修を終えると、それぞれが自分のコミュニティに帰って行きます。そういう彼らの姿に何度も熱いものを感じました。今こうして、農民として一歩を踏み出した私があるのは、世界の各地で草の根の働きを続ける彼らと生涯の友となり、“貧しい”とされてきた彼らのとてつもない“豊かさ”と人間としての“温かさ”に触れたことが大きく影響しています。

「何もない田舎で農業を始めるなんて大丈夫なの?」という声が聞こえてこないわけではありませんが、田舎には「何もない」というのは偏った見方でしかありません。「あるもの探し」をすると、日本の農村にも沢山の宝物があります。私たちは、地域にあるものを最大限に活かしてこそ出来る農を、今一つずつ積み重ねているところです。

農村には「無くなってしまいそうなもの」があることも事実です。働き口が無いという理由で若い世代は都市に出て行きます。人口が減り、市の出張所は撤退して無くなり、小学校三校が閉校しましたが、診療所や郵便局、農協の売店はまだあります。新参者の私たちですが、農村の豊かさに恩恵を受けているばかりではなく、地域の未来が明るく豊かであることを思い描き、代々この地で生きてきた人たちと共に「あるもの探し」をしていきたいと思っています。「内側を耕していく」ことにのみ、農村が自立して生きられる道が残されていると感じています。アジア学院での学びが活かされてくるのは更にこれからなのだと思います。

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ジブチ共和国


石田 綾子
(2008年度卒 、2009年卒業インターン )

 

私は、今ジブチ共和国のジキル州というところに青年海外協力隊の野菜栽培隊員として派遣されています。
専門学校を卒業後、東ティモールにNGOのボランティアとして1年強滞在していました。東ティモールでは子供に対する平和教育や難民キャンプで活動をしていました。その活動の中で、平和を考えるというのは基本的な生活基盤があってこそ出来ることだと感じ、農業を学びたいと考え、アジア学院への入学を決めました。アジア学院で学生・研究科生として2年間すごしました。

今現在ジブチでの活動の中で、アジア学院で学んだことで役に立っていることは沢山あります。

まずコミュニケーションと異文化理解についてです。アジア学院では、アジア・アフリカ各国から沢山の生徒が集まり、共同生活をしています。農作業のグループも彼らと共に行います。この中で言語の違う人々と分かり合うためにはコミュニケーションと異文化理解が何より大事だと学びました。それは言葉だけではなく、相手を理解しようとする気持ち、姿勢、相手の国の文化の理解が大事だという事です。言葉が違うとそれだけで会話をするのが億劫になります。喧嘩をしたり、問題があったときなどは特に大変です。相手の言語を理解できても、怒って聞きたくないという気持ちがあると本当に理解できないことがあります。 アジア学院時代には色々な人と言い合いや衝突を繰り返してきました。しかし、これがいい経験となり、ジブチに派遣されて同僚と衝突することがあっても感情的になることが少なくなりました。また、自分が歩み寄ることにより同僚も私の文化などを理解しようと頑張ってくれています。お互いがお互いを尊重することの大切さをアジア学院では学びました。

二つ目は、有機農業に関してです。

ジブチでは伝統的な農業というものがありません。それはもともとジブチの人々が遊牧民だったということが関係しています。

もともと農業をする文化ではないので、農業に必要な材料がここにはあまりありません。

種も海外や援助に頼っていたり、農薬や肥料は海外からでも高くて買えない状態です。水も雨があまり降らないので井戸が必要になりますが、水をくみ上げるためのポンプも、ポンプ自体の値段や維持費で沢山お金が必要になります。なので一部のお金を持っている人が農園を経営することが出来ます。

私自身も活動を始めた当初、肥料作りのための材料がなくどうしようと悩みました。しかし、よく観察してみると鶏糞はなくてもヤギ糞はある、米ぬかがなくてもとうもろこしの粉ならあるなど、わざわざ外から買わなくても肥料が作れることを発見しました。鶏糞も配属先に少し鶏がいたので、これを増やせば鶏糞が取れると考え、アジア学院で実践した人工孵化を活用しています。人工孵化に使う材料もごみとして捨てられるようなダンボールとペットボトルとお湯を使い成功することができました。また、農家の人たちが病気で困ったときに農薬を買うのではなく、あるもので出来る自然農薬を進めています。これもアジア学院で基本的な有機農業を学んだおかげです。

これにより、支出を抑えることが出来て農家の人たちも喜んでもらえました。

アジア学院で学んだこと全てを書くことは出来ませんが、2年間の学びはジブチでの活動に大きく活かされています。

今後、日本に帰って何をするかはまだ決めていませんが、アジア学院で学んだことを胸に自分の道を進んで生きたいと考えています。