ボランティアについて> 2006年度ボランティア体験記

 

ボランティア体験記−1

 

名前:町上 貴也 

ARI滞在期間:1年(2006年4月〜)

朝・夕の農作業:家畜 牛

日中の作業:広報

 

アジア学院でボランティアをしました。

僕は今、アジア学院のあのコイノニア(台所)に雑然と並んだ白いテーブルを思い出します。アジア学院のテーブルは円いのです。ちゃぶ台を大きくしたようなあの白い円いテーブルで、今までに何人の人たちが食事をしたのだろうと考えます。 よく見ると相当に古い、国宝級の古い木製のテーブルは今、アジア学院での生活が僕にとってどうあったかを優しく語りだします。

 

食事が用意できたことを知らせる、アジア学院に鳴り響くずっしりと重い乾いた、使い込まれたベルの音。 空を眺めながらコイノニアに向かいます。食事当番が今日のラインナップを手短に説明し、ビジターの人たちを歓迎し、みんなで歌い、そして感謝の祈り。少しの沈黙。 アーメン、イタダキマースという言葉でそれぞれがテーブルに歩み寄り、一つ一つ今日のおかずを吟味しながら、それぞれのやり方でお皿に取り分けます。 山のように盛る人、ちょっとずつ全品を制覇する人、色味を計算する人、全てがコチジャンで真っ赤な人。僕はそれを後ろで眺めながら少しあとでその輪に加わります。僕はそれを眺めるのが好きなのです。

 

円いテーブルは次々と人で埋まり、個性豊かなお皿も並びます。そんな食べ物は、アジア学院で取れたお肉、野菜。友人たちの手を通過した料理。ただおいしいだけではない、 何かが凝縮された、普段の、ほんのささやかな日々の、安心できる食事。そしてそれを食べながら、英語で交わされるたくさんの世界の人々の話。 僕は有機野菜とか遺伝子組み換えとかフェアトレードとか、食についてサムライのような鉄の信念を持ち合わせているわけではないけれど でもそのコイノニアの風景が確かな力を持った、そっと僕の中に留めておくべき確かな光、そんな風景だと思っています。 今年知り合った学生やスタッフと話したこと、聞いたこと、風に乗ってやってくる洪水のような世界の噂を聞いて、僕は世界の人たちに、出来るだけそんな食事の風景のある生活が人々に与えられるために、と思い続けたいです。 もしアジア学院でボランティアとして滞在したことが、少しでも彼らの役に立ったのならすごくうれしい。でも僕はそれ以上にお腹いっぱいにアジア学院から学び、そして感じることができました。

 

僕は将来、家に白いアジア学院ほどでない小さな円いテーブルを置くでしょう。そして家族や友人とそのテーブルを囲むのです。僕はそんなアイデアをええじゃないか、ええじゃないかと今、楽しんでいます。 そしてそのために僕がするべきこと。その大きな一歩をアジア学院で踏み出せたような、そんな気がします。

(c) Tatsuyuki Tayama

 

 

ボランティア体験記−2

 

名前:ギード 

ARI滞在期間:1年(2005年8月〜)

朝・夕の農作業:野菜作物

日中の作業:野菜作物

 

レポートから抜粋

 

-2005年9月2日、アジア学院にやってきました。 到着した時から、どのように人種の違う人々が共同生活しているのか興味を持ち、毎日の生活では、学生から聞く事のできる、全ての海外についての話に耳を傾けました。

 

-アジア学院では、ボランティアとして畑作物部門を担当し、野外で労働する喜びを学びました。ボランティアの基本的な役割は、アジア学院に対して、また学生に対して、研修プログラムのサポートをすることにあります。

 

-フィリピンのような過去に植民地化され、発展途上国が直面している共通の問題を抱えている国を、自らの目で見ることは間違いなく意義のある経験になると考えました。

 

-私はフィリピンの子供たちが将来に対してどれだけ大きな夢を持ち、勉強を終えて、人々のために働きたいという思いに私は強く揺り動かされました。心の中で、私は今聞いた言葉の意味を考えていました。

 

-私はドイツのスーパーマーケットではバナナを買うべきではない。それよりもドイツで取れる果物を購入するべきだと。おそらくそれらの果物にも農薬は多量に使用されているでしょう。それでも私は、どこかで線を引き、何かを始めなければなりません。

 

-ギードレポートはこちら

 

 

ボランティア体験記−3

 

名前:ケリー

ARI滞在期間:3ヶ月(2005年7月〜)

朝・夕の農作業:野菜作物

日中の作業:キッチン

 

10日前に新しい部屋に引越ししました。友達が遊びに来て、うちの冷蔵庫を開けるなり私にこういいました。
「ケリー!なんなの、コレ?」
冷蔵庫の中には味噌と大根、海苔が転がっているだけでした。自分でも驚いてしまいました。2ヶ月のアジア学院での生活、キッチンでのボランティアのせいで、私はアジア学院の食べ物以外、何も食べたくなかったのです。

 

アジア学院から帰ってきたあとに変わったことは、これだけじゃありません。 帰国して家に着いた次の日、私はアジア学院での毎日の生活のように、朝六時に目が覚めて、ラジオ体操をしました。 もし私のうちの庭に畑があったら、そこで農作業にとりかかったに違いありません。 今私は家に帰ってきました。ものすごくアジア学院の友人が、あのにおいが、キッチンでの仕事が、何かが毎日起こる生活がここにないことを寂しく思います。

 

キッチンでの仕事が本当に懐かしいです。アジア学院でのボランティアは私にとって本当に楽しくて、そして多くのことを学びました。火曜日と金曜日が大好きでした。その日の朝には、ずっと育ててきた野菜を収穫して午後にその野菜をきれいに洗い、そして夕食になるのです。 みんなが私の料理をよろこんで食べてくれるのが嬉しかったです。お金のために働くのではなく、毎日の生活と毎日の食事のために働くことが楽しかったのです。

 

アジア学院が懐かしいです。アジア学院での生活で私は変わりました。アジア学院で学んだことをこれからもずっと忘れずにいたいです。

 

 

ボランティア体験記−4

 

名前:ヨシュカ

ARI滞在期間:1年(2005年8月〜)

朝・夕の農作業:農場

日中の作業:学生選考

 

レポートから抜粋

 

-学生選考と卒業生調査では、アジア学院が日本の、 また国際的に活動するNGOとして担っている役割や 将来的な展望を知り、 同時に世界各地の本当の声を学生から直接聞くことができ、 僕は心から感動しました。 インドネシアやハイチからの報告書や見解、 将来的なビジョンを読んでいると、 まるで世界の全てと僕が繋がっているように思えるのです。

 

スタッフや学生、ボランティア、そして多くのビジターにとって 働くことに対する熱意は研修プログラムの達成、成功において、欠くことのできないものです。 しかしボランティアとしての重要性と共に、アジア学院のメンバーとして生活すること、 ただそれだけでもアジア学院が豊かで、より喜びのある場所であるために、 必要不可欠なことなのです。


アジア学院では一度もさみしさを感じたことはありません。 本当に最初の日からアジア学院のメンバーは僕のことを「ようフレンド!」と呼んでくれました。 このアジア学院で過ごした一年を通して、この言葉は単に見せかけのものではないことを知りました。 畑で学生と共に過ごした時間、オフィスの仲間たち、食事を用意してくれたキッチンスタッフ、 おいしい食事と生活を共にした時間、毎朝のチャペルでの信仰の時間、 ルームメイトや同じ屋根の下で暮らした住人と共にいると、そこはまるで自分の家のようで、 すばらしい友人たちと共に過ごした時間を、ドイツに戻り、 歴史と英語の勉強を大学で再び学び始めた今、 僕は本当に懐かしく思います。

100人近いアジア学院のメンバーとの人間的な関係を通じて、 世界について多くのことを知ることができ、素晴らしい目的のために共に働き、 生活することを長期間にわたって経験し、 僕は今、百科事典を読み終えたような気分がします。 アジア学院で得たこと、受けた衝撃は僕の内側にとどまり、
今でも僕を勇気付け、喜びを与えてくれるのです。 絶対に僕はこの思い出を忘れません。-

 

-ヨシュカレポートはこちら

 

 

ボランティア体験記−5

 

名前:ピア

ARI滞在期間:3ヶ月(2006年8月〜)

朝・夕の農作業:家畜 牛

日中の作業:キッチン

 

ピアはスペインで写真学校に通っているため

滞在中に撮りためた写真をレポートとして発表します。

 

写真はコチラ

 

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