小山 萌愛(旧姓 竹之下)

名前: 小山 萌愛(旧姓 竹之下)
ニックネーム: モエ
研修年度: 2009、2010(研究科生)
国: 日本
地域: 三重県

小山は日本第二の都会、大阪で生まれ育った。大学生の頃、「何か心地よくないもの」を感じ始めてはいたが、それが一体何であるかは分からなかった。タイを訪れた時、都会と農村の生活の両極端の様を生れてはじめて垣間見ることとなる。バンコクの一角には若い娘、多くは農村出身の女性が体を売る“ゴーゴー・バー”があった。HIV/AIDSの子どもたちと遭遇し、また大都会のスラムの人々の生活ぶりを見た。バンコクを後にし、ミャンマーとの国境に近い山にあるカレン族の村に足を伸ばした。農民としてそこで生きる村人の生活には厳しいものがあったが、共同体として一つになり自然と共に生きている村の在り様に心動かされた。“心地よくない”あの何かの感覚が変わり始めたのがここの村でのことだった。「小さなコミュニティに関わっていきたい、自給のための農業をやりたい、お互いがサポートし合えるようになりたい、隣にいる人を。アジア学院に行くことを決めました。」

アジア学院では有機農業を学び、共同体で暮らしながら、求めていた新しい人生のために必要なことを身につけていった。とてもおとなしい性格の彼女は、自分の意見を人に聞いてもらうためには、時に声高に論争することも有益だと気付かされることすらあった。在学中に為したことで最も誇りに思っていることの一つが「だんだんの会」というイベントを企画したことだ。基本的には昼食会なのだが、そこにアジア学院が借りている耕作地の地主の方々を招く、というものだ。目的は「ありがとうございます」を伝えることだけ。みんなで餅つきを楽しみ、その後でキャンパスツアーを行なった。地主である農家の方と学院スタッフとが生き生きと会話している様子を見ながら小山は、日本の国内で共同体を築くという夢に向けた小さな一歩をそこに見ていた。

卒業後、伊賀市種生で夫と共に自家消費用のコメと野菜を作っている。どんなに手を洗っても彼女の爪には土が残る。週末になると大阪や神戸、京都などから友人が駆け付け、田の草取りやその他の作業を手伝ってくれている。そうやって数日を野外で過ごし、それぞれ自宅に帰る時になると、「皆、気持ちよさそうに、幸せそうに」なっていると彼女の目に映る。地域に住む80歳以上の方々(大勢がそう)の聞き取りも行なっていて、本にまとめている。お年寄りたちは彼女に、自分の人生は普通だった、何の特別なこともなかった、と話すのだが、その「普通の人生、ノーマルな人生」こそ世の多くの人が聞きたいと思っていることです、と言って対応している。少しずつ、ためらい気味に話すお年寄りだが、話し始めると語る声に活気がみなぎってくる。これらのお婆ちゃん、お爺ちゃんが自分の語ったことを本の形で眼にするとき、生きてきた自らの人生にまた新しい価値を感じ取っていく。

小山の隣人に、妻は「俺より先に天国へ行ってしまった」という年老いた人がいる。夫と畑で仕事をしていると、お菓子や、使ってくれと言って農具を持って遊びに来てくれる。新参者に農作業のやり方を教えてあげるのが好きで、「農業をやろうとあんた方がここに住んでくれるのは、私らにも良いことなんだ」と二人に語りかける。毎回、自分の人生の最期のことを口にして彼の来訪のひと時は終わるのだが、いつも笑顔で帰られる。この隣人とのお付き合い、特にあの大きな笑顔から小山は勇気を分けてもらっている。「自分一人では生きていけないことを知りました。食べものを分かち合い、作業を分かち合い、思いを分かち合い、互いに助け合い・・・生きていることの喜びです。だからここに居るんだと思います」と語る。

(アジア学院発行書籍「”農村指導者たち アジア学院卒業生の活動と地域への貢献」より)