山﨑 勝

名前: 山﨑 勝
ニックネーム: マサル
研修年度: 1998、1999 (研究科生)
国: 日本
団体: 日本国際ボランティア・センター
活動地域: カンボジア

“「助ける、助けられるとは」を学ぶ日々”

山崎は卒業生インターンシッププログラム(研究科)を履修するため、通常より1年長くアジア学院に在学している。このプログラムは日本人卒業生のみを対象とし、さらなる農業経験が積めるように組まれたものだ。こうしてアジア学院における2年間の有機農業研修と、開発途上国の人々の暮らしにポジティブな影響を与えたいとの熱意とで身支度を整えた山崎は、農村女性の地位向上を目標とするNGOを通じカンボジアへ飛んだ。そこで関わることとなったプロジェクトは、村の女性に野菜の栽培を指導することだった。そこで何が起きたかというと、「実際のところ、みんなが私に教えてくれました」と彼は認める。それまで親しんできた日本の自然環境とカンボジアのそれはあまりにも違い過ぎ、いくつもの試みが次から次へと失敗に終わってしまう。そして最後には先生と生徒の立場が逆転してしまったのだ。

大学生だった頃、日本の外の世界に興味を持ちだした。国際関係を専攻したが、教室で政治や経済の講義を聞いているだけでは満足できなくなっていた。「本当の世界に触れ、何がいま起こっているかを勉強しようと考えました」と当時を振り返る。そしてパキスタンへと向かった。ほとんど英語も話せない一人旅、しかも治安という点からすれば何が起こっても不思議ではない国で、人の優しさに心打たれる経験をしていった。人々は貧しかったものの、自宅に招いてくれたり、病気の時には面倒をみてくれ、そして食べものを分けてくれた――その家の子どもたちの顔を覗いてみたら、お腹を空かしていることは一目瞭然だった。やがて「外国で働くというのであれば、自分で食べものが作れるようにならなければ」と考え始めていった。他人の、なけなしの財産に頼らなくても良いように、と。そうした認識が後に彼をアジア学院へ、そしてカンボジアへと導いていくこととなる。

カンボジアでの2年の任期の終わりに、滞在延長を決意する。やるべきことをやり遂げていない、という思いだった。「村の人はたくさんのことを私に教えてくれました。でも、私は彼らのために何もしていなかったのです」と振り返る。アジア学院で体験していた「仕える指導者」という概念が、自分の仕事を進めて行く上で強力な道具となることを、延長期間に入って徐々に発見していくようになる。ただ言葉だけのリーダーではなく、実際に手足を動かすリーダーとなるよう村の人々を熱心に励ましていった。アジア学院在学中、インドネシアから来ていた女性の学生の言葉に目の覚める思いにさせられたことを覚えている。とある週末、彼女は自由時間を使って豚舎の掃除をしていたのだ。山崎にこう言った。「リーダーというなら、他の人がやりたがらないことをしなければ。」

リーダーシップについてのこの新しい理解を実地に試しながら、さらに10年、カンボジアに滞在することとなり、その間に、後に妻となる若い女性に出会う。山崎は日本国際ボランティア・センター(JVC)というNGOと関わるようになり、現在は国内調整員を務めている。20人のスタッフと共に、米、野菜、様々な果物のエコロジカルな栽培方法を村人たちに教えている。保存と付加価値を目的としたピクルスや、お茶を作る技術も指導している。環境保全や森林管理に関して村の若者の教育を行なってもいる。

アジア学院という共同体で暮らし、異なる文化的背景の人々と日々の生活を分かち合ったことは、山崎にとり価値ある学びであった。話すということ、あえて時間を作って村人と長い時間座り込んで話をすること、そういったシンプルな行動は村人からの信頼をかちえていくのに大いに役立った。さらには、自分自身について村人と分かち合うことがいかに大切であるかということも分かってきた――若い日本人としての自分が何者であるか、何のためにカンボジアに来たのかをコミュニティに理解してもらうことの大切さである。こうしたオープンな付き合いの中から発展していった人間関係により、地域開発の仕事が成功するための基盤が培われていったのだ。「アジア学院で学んだことを一生懸命やってきました。人々を、カンボジア人の人々そしてここのスタッフを、管理統率しようとはしません。彼らと一緒にことに当り、一緒に考え・・・いつも一緒に村を訪ね、彼らと話し・・・議論します。」こうして山崎はポジティブな影響を生む方法を発見していった。

(アジア学院発行書籍「”農村指導者たち アジア学院卒業生の活動と地域への貢献」より)