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ワーキングビジター体験記−1

名前:小泉敦司

ARI滞在期間:1ヵ月

朝・夕の農作業:畜産(牛)

日中の作業:キッチン、野菜作物

僕は1ヶ月間ワーキングビジターとしてアジア学院に滞在しました。1人で来たので初めは不安でしたが、みんなとてもフレンドリーでそんな不安はすぐになくなりました。僕は大学で環境保護や海外協力について勉強していたので、その両方に繋がる有機農法に興味を持っていました。ここでは主に牛の世話をしましたが、その他にもバイオガスの装置やクロレラ、豚、養魚と稲作、ウサギと鶏、トウモロコシ、牛の餌などの色々な有機農業のあり方を勉強することができました。

また、実際の農作業の他にも、アジア・アフリカ各国から様々な人が集まっているので、各国料理が楽しめたり、様々な環境から来ている人たちの話を聞くのはとても勉強になりました。海外からの学生だけでなく、ここに来ている日本の人たちの中にも色々な経験を持っている人が多いので、進路に悩む時期の僕はとても良い刺激を受けることができました。

アジア学院はキリスト教の理念に基づいて設立、運営されていますが、ここではイスラム教や仏教、宗教を持たない人も一緒に生活しています。僕もいわゆる普通の日本人なので、法事に行ったりクリスマスを祝ったりしていいて、キリスト教については何も分からないのですが、快く受け入れてもらえました。今回僕は1ヶ月の滞在だったので、作業や自由時間を通して沢山の人と仲良くなれました。数日間の滞在でも新鮮な環境に身を置くことで十分に楽しめると思いますが、時間が許される限り長い滞在を僕はお勧めします。


ワーキングビジター体験記−2

名前:アンドリュー・スティール

ARI滞在期間:2ヵ月半

朝・夕の農作業:野菜作物

日中の作業:キッチン、野菜作物

2004年の冬、前からアジア学院の事を知っていた親からある日、“次の夏アジア学院でちょっとボランティアしに行かないか”と勧められた。僕は高校時代に日本の農業と食料自給率についてリサーチペーパーを書いたことがあり、そして現在アメリカの大学で地理を勉強していて、様々な国や文化について興味があったのでよいチャンスだと思った。さらに、僕は自然が大好きで、これらの事について理解を深めてくれるだろうと考えた。
僕は2005年の五月から2005年七月の二ヶ月間ワーキングビジターとしてアジア学院に来た。初めてアジア学院に来た日、皆から非常に温かく歓迎してくれたおかげでその日から居心地がよかった。また、昼食準備のキッチンメンバーとして働く事になったが、僕は料理の経験もゼロに近いのでどう貢献できるか不安だった。もちろん初めの頃は少し間違えたり作業が遅かったりしたかもしれないが、周りにいるボランティアやスタッフに励まされサポートしてもらい、徐々に自信を持ち始めることができた。
アジア学院に来たもう一つの理由は、農業を経験したかったからという事がある。僕は東京で生まれ育ったため農業の世界が果てしなく遠い感覚があったが、アジア学院は東京からわずか二時間半なのだ。東京から一歩外へ出るだけで違う世界を味わえるのか実感できた。
しかし、アジア学院が日本にあるって言われると少し戸惑います。なぜならここでは皆英語を使い、食べる料理もかなりエスニックだ。今年は14カ国代表する農村リーダーが学生として日本に集まり、コミュニティーをつくりあげていくことどれだけすごいかよく思うことがある。学生達は僕に様々な経験を語ってくれた。アジア学院の外では絶対にありえない事である。人それぞれに個性的な性格を持ち、一緒に生活ができてとても感謝している。そのなかでも一番感心したのは学生達の笑顔だった。学生たちは日本人に比べたら金銭的には非常に貧しいけれど、幸せと喜びあふれた生活を送っているように見える。つらい仕事でもいつも学生たちの笑顔に励まされた。アジア学院で生活するのが本当に楽しそうだった。この喜びとスマイルを分かち合うことができて本当に光栄だった。

僕は毎日野菜作物のセクションで働いていて農作業を経験する事ができた。一緒に働いている学生からだけではなく、スタッフの人々から毎日新しい事を学ぶ事が出来た。最初は除草などの基本から学び、だんだん難しい事まで知ることができた。野菜の病気の種類や、収穫のタイミングや方法、種の植え方、様々な種類の害虫への対処法。こういった知識を僕に与えてくれた人々全てに感謝している。
 また、畑仕事とキッチンでの仕事の関係を目の前で経験するのは快感だった。畑で仲間と一緒に汗をかいてやっとの思いで収穫した野菜を、調理して皆の前に差し出すのはすごく気持ちが良いことだった。キッチンと畑、両方の場所で色々経験して勉強になったと思う。食と命の関係、アジア学院の哲学を目で見て、体感する事が出来本当に素晴らしく思う。


ワーキングビジター体験記−3

名前:市丸紘子

ARI滞在期間:10日間

朝・夕の農作業:野菜作物

日中の作業:野菜作物

私はこれまで、「農のある暮らし」の必要性を追求してきた。それは、自分や周りの命をどうすればもっと身近に感じ、大切にできるかという問いかけへの答え探しでもあった。
自然(土)とのつながり、作る者と食べる者とのつながり、すべてを断ち切ってまで経済の豊かさを優先した結果を、日本人は日々あらゆる面で実感している。たとえ今は、その結果に無関心でいられる人も、自分の命や生活を形作っている衣食住、人間関係、こども、教育などにちょっと目を凝らせば、嫌でもその犠牲の多さが見えてくるだろう。

今回はアジア学院で、食と農、人とのつながりを通じてそれを実感した。私の家は農家で農作業を手伝ったりもしていたが、実際に10日間毎日ずっと農業をしたのは今回が初めてだった。暑い中、ひたすら草刈も多かった。でも、刈ったただの草が、ゴミではなく草マルチとしておいしい野菜の生育に役立てられることを知ったとき、作業が楽しくなった。また、玉ねぎを結わえたり、草を刈ったり、種をまいたり、農作業は簡単な作業から難しい仕事まで多種多様だから、初心者の子どもや障害を持った人でも、それぞれに応じた作業がみんなでできる。改めて農業の受け皿の広さと偉大さを実感した。

これまで、多くの国で経済が発展するにつれ、一次産業はことごとく軽視されてきた。しかし、様々な理由で、つながりを壊す農業に従事していた人たちが、もう一度、つながりを大切にする農業に戻っていく。もしくは何らかの疑問を持ち、自分の足元を見つめるきっかけとなる。年間10数カ国から来る学生と、千人を超えるビジターが、ここにきてともに学ぶ。卒業後もそれぞれの帰った場所で周りを巻き込んで、世界を変えていく。そう嬉しそうに語ってくれたスタッフやボランティア、パティシパント(学生)たちのいるアジア学院で、その意味のすごさを感じることができて本当に励みになった。

今、地上に生きている人々のどれほどが、私の想う幸せや価値観を分かち合えるかはわからない。が、少なくとも、アジア学院では共感できる人たちに出逢えた。違和感がなかったこと、私にはそれが何よりもの勇気になった。大学4年となった今、自立するにあたり、悩むことも迷うことも多い。人の長所が時として短所にもなりうるように、物事にもすべてがいいものなどない。だが、それをわかった上で、世界中でそれぞれの状況を生き抜く大切な友人たちに、少しでも後ろめたくない生き方を選びたい。彼らを前にしたとき、自分の選択のせいで目を伏せたりしたくない。私が日々、日本で肩を並べる友人たちと同じように笑顔で向き合いたい。世界中の富をかき集めたような日本で暮らす上で、それは想像以上に難しいが、真実を見抜ける眼と友人を想う意志をしっかり育てていきたい。
一人でも多くの人が、自分の意志でアジア学院の地を訪れ、ともに社会を変えていけることを心より願う。


ワーキングビジター体験記−4

名前:北見美佳

ARI滞在期間:2週間

朝・夕の農作業:畜産

日中の作業:畜産

西那須野から宇都宮へ、宇都宮から上野へ、上野から新宿へ…。増えていく人、増えていく騒音。車内はいつのまにか、疲れたサラリーマンや楽しそうに話す学生でいっぱいだ。私のそばでは、おばさま二人がノンストップで仕事の不満や人の悪口を撒き散らしている。聞きたくないのに聞こえてしまう誰かの悪口は、私を闇の世界へと誘い出す。

なんでこんなに悲しくなるのだろう。人々はどこを目指し、こんなにも行き急いでいるのか。その顔はいつも暗い。

私はふと腕時計をみた。いつのまにか時計は時を刻むのをやめていた。私はこの現実世界に帰ってくるのを恐れていた。そして実際に時計は止まっていた。不気味な電飾に目が眩み、混雑した人々に吐き気がした。救急車のサイレンや車の騒音、人の話し声、足音が一つの巨大な波となってわたしを押しつぶしてしまいそうだ。止まってしまった時計は私のもう戻らない時間を表しているのだろうか。

でもあのぬくもりはまだ感じることができる。手をじっと見る。焼けた肌、爪の中、ひっかき傷、蚊に刺されぼろぼろになった肌、足にも色々なアザがある。釘を踏んでしまった跡がある。ああ、やはり私はあそこにいたのか。ついさっきまでいたのに、遥か遠くのことに感じる。悲しいのは、私があの世界に戻れないからじゃない。多くの人々があの世界を知らないからかもしれない。都会の四角く区切られた小さな空を悲しいと思っている人はどれくらいいるだろうか。どれだけの人が自分の生活に満足して、生きる喜びを感じているだろうか。私はアジア学院でのたったの二週間の滞在で多くのことを学び、感じることができた。それは教科書の中では学べないし、ましてや感じることのできないものだった。ここに来た理由は友達に会いに来るような簡単なものだったのだが。いいかえれば、アジア学院は誰でもフラッと行ってスッと溶け込めてしまうアットホームな場所でもあるのだ。

ワーキングビジターという形で来たのは初めてなのだが、なかなか大変。一日の中でやることは盛りだくさん。うとうとはしていられない。しかしそれもまた、心地よい疲労であった。一人ひとりが役割を持っていて、それは必ず一日の食事の中に現れている。まるで一つの村だ。皆が助け合って、それでいて楽しい。人間が生きている。人間が生きていく上で離れられないのが食欲。食べるために仕事をする。その究極かつシンプルな生活がアジア学院にあった。こういう村は世界中にどれほどあるのだろう。そこに住む人々は幸せで、おそらく豊かなんだと思う。私はここの忙しい中でも、様々な事を考えた。

様々な人々と豊かな自然があったからだろう。夜がこんなに暗く、そして明るいなんて。二週間、風の音を虫の音を、宇宙を、生命をひたすら身近に思った。ある時、鶏のブッチャリングに参加することができた。もしこの工業世界が停止してしまったら、私は生きる術としてこれを知らなくてはならない。体験したかった理由はこんなだった。実際にナイフをたて、そして鶏の首からしたたる生温かい血を見て、何も言えなくなった。これがどういう感情なのかもよくわからなかった。ただひたすら今日の食事をありがたいと思った。

初めて心から、「いただきます」と言った。

スーパーに並ぶ、既に切り分けられた肉は想像力を奪っている。ボタンひとつのミサイルは兵士の想像力を奪っている。食べられることをありがたいと思う。人が死ぬのを悲しいと思う。当たり前の感情はどこに消えてしまったのか。人が豊かに生きるとはどういうことなのだろうか。

小学校の給食残飯を運んだ。人数分に作られて、彼らの胃の中に収まるはずだった食べもの達が、私の手の中でずっしりと横たわっているのは何故だ。海藻サラダだったであろう海老たちは、わざわざ海を越えてやってきたのになんで日本に来てまで捨てられていくんだ。あのベトベトして脂ぎった残飯の感触はしばらく忘れない。日本全国の残飯が全て家畜の飼料となってリサイクルされているはずがない。多くはどこかに埋め立てられているのだろう。そうして海も死んでいくのか。
ああ。

鶏をおいしく頂いた夜、豚が生まれた。十三匹。ちょっと見に行ったならば、もう赤ちゃん豚は母豚に吸い付いている。すごい生命力だ。この日の昼ごろか、母豚を見に行った。目と目があった。母豚の目は私の奥の方まで見ているようで、見透かされたようで恐くなった。自分がとてつもなく小さなものに見えた。あの母豚の目も忘れられない。

アジア学院での生活は私を素直にさせた。どこにでも裸足になって、ねっころがって、歌って。こんなに素直に生きるのは久しぶりで、嬉しかった。人と共に、生きている充実感があった。シンプルな生き方がここにあった。できればもう一度、夜の闇にこだまするミャンマー人の歌声を聞きたい。 ここが日本であるのか、疑わずにはいられないんだよ、ありゃ。

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