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当時筆者は農村伝道神学校の東南アジア科で(1961年秋−72年末在職)10人たらずの研修生と共にいのちを支える食の課題に、信仰の証しとして取り組む仕事をコツコツとしており、その間にアジア各地、欧米各国で数々の協議会、研修会、現地調査等に直接参加し、また日本のキリスト教関係者や教会外の協力者(農民リ−ダ−、農業改良普及員、農協関係、大学教授等々)と密接な連携を保ちながら仕事を進めていたのである。

そして「時が満ちた」ときに、アジア学院の構想が急速に具体的な形をとりはじめ、それらを一つのプログラムとするよう筆者に期待が集められ、欧米の団体からは長期的な資金の裏づけの話も寄せられるようになってきたのである。

もちろん、日本の社会で学校としての社会的、法的認知を得ることは不可欠なので、設立発起人会が組織され、栃木県知事に学校法人設立認可申請書に発起人全員が署名捺印して提出し認可をえたのであるが、署名捺印だけで学校が成り立つものではないことは言をまたない。

1972年の晩秋、地元西那須野で設立準備作業をしていた職員から東京都・町田市にいた筆者に電話があり、申請書に学校法人名を記入する必要があるから早急に考えて欲しいとの要請がり、ひとり想を練ったのちに提示したのが「アジア学院」であった。

時の動きなどについて詳述すれば、優に一冊の書物になるが今はその時ではない。

アジア学院の設立にいたる、世界各地の様々な動きの重要な局面のほとんど全てに居合わせたのは筆者であり、具体化への決断を迫られたのも筆者であった。

これを筆者は神の召命であると受けとめ、信仰をもって応えたのである。これらの事情を歴史的に、信仰的に深く理解して理事会は筆者に創設者理事として奉仕をつづけるよう要請されたものと理解し、感謝をもってお受けしたのである。

激変する世界の中で、われわれの心を動かしアジア学院創立へと導かれたのは神であり、神が「真の創設者」であることはいうまでもない。

昨年秋に創立20周年記念式典を盛大に挙行し、わたくし共は、「いのちのたべもの」の課題を中心としてアジア、アフリカ等の兄弟姉妹たちと「共に生きる」足掛かりがヤットできた感を強くしたのである。アジア学院創設の働きは、悠久の神のみわざと人類の営みの中では、まだ始まったばかりである。どうか参加者、協力者のみなさま方がひきつづきご支援、ご指導くださるよう願い、また祈るものである。

1994年5月13日

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