学び舎の創設 > 法人格 - 2
人は母の胎から生れ出たときから、母との(そして父との)強い絆の中でいのちを育みながら、独り立ちへの道を辿りつづける。独り立ちと言っても、それは愛する人々との強い絆があってはじめて可能になるのである。人は個人として可能な限り自由に生きることを願い、その実現へ向かって努力を続けると同時にまわりの社会環境や自然環境との調和の中に生きようとする。個人の自由と同時に周りとの調和、一致をねがう。自由に「すべてのものと一つになる」願いであり、それが実現している時に、生きがいとか安心感を実感するのであろう。 これは世界の古典などにも明白に記され、人類不変の真理ともいえよう。コミュニティ−の一員となることを願い、ボランティア活動に充実感を得ることの深い源はここにあり、それが自然のなりゆきだと思われる。 現代社会が法人格を認め、制度化するに至ったのには、この自由と一致を求める人類の願いと知恵の働きが根底にあると思うのである。 一人の人が人格として成長を続け、権利と義務と責任とを全うする主体であることを期待されるように、法人もまた一つの人格主体としてその公益性を高めつつ成長し続けることを期待されるのである。 創立以来のアジア学院の営みを通して、「法人格」に秘められている人間の知恵と願いの蓄積を強く感じるのであるが、上記のような意味での「法人格」であり続けるのは、至難の業である。 法人であるARIを実質的に構成するのは役員や職員だけでなく、各国からの学生、ボランティアその他多くの人々である。その中の誰一人として全くの善人も全くの悪人もいない。一人一人が善と悪とを多様な形で持ち合わせ、それぞれ多くの欠点を抱え、それが当然様々に変化する。現実には人は他者を善か悪か、白か黒か、単純で非現実的な判断をしがちであり、それが人々の人格を傷つける問題を引き起こす。 これがARIのような多文化集団で起こると、「法人格」を高めることなどは問題外となる。互いの長所を尊重して、みんなで善を生み出す努力を続けることこそが肝要なのである。 多文化集団では善悪、長所短所の判断の基盤もまた千差万別である。そこで互いの欠点を揶揄するような事態が起これば多文化集団は瞬時に崩壊する。が、互いの長所を尊重し欠点を補い合って新たに善を生み出す努力をする時、人々による新たなコミュニティ形成の可能性が造られ、自由に一つの人格となる力が生まれるのである。 |
