学び舎の創設 > 英語
| 創設以来アジア学院内での共通語は英語である。多言語・他文化の人々が共同体形成の学習をするアジア学院で、現代の共通語としての度合いを高めている英語を用いる事は必要である。
しかし、これは苦痛を伴うことでもある。まず、学院生活を共にするほとんどの者にとって英語は母国語ではない。また、参加者のほとんど全員は農村地域からであり、そこでの英語教育の程度は都市に比べて格段に劣るし、日常英語に接する機会は皆無という所も少なくない。 さらに、参加者はそれぞれ英語に対する強い偏見を持って来る。偏見の第1は英語は最も格の高い言語だというものである。 これは長年月にわたる歴史的力関係に由来するものと思われる。英語圏の国々が数世紀にわたって世界の動きを牛耳り、その力は今も圧倒的である。 旧植民地の国々では今も英語を駆使できる者が優位に立ち、様々な特典を手中にする。英語で授業をする学校(小学校から)が格が上で、親たちはそこへ子ども達を入れようと四苦八苦する。将来の職業に有利だとの配慮であろうし、海外に移住する手段にもなる。この様な偏見を払拭することは至難である。英語を流暢に話す者をただそれだけの理由で尊重し、人間的にも他よりも優れていると思いこむこともしばしばである。 参加者の中には英語を敵視する者もいる。植民地時代から現在に至るまでの苦い経験を忘れられないのである。しかし、英語そのものには他の言語同様に長い、美しい文化の伝統があり、世界の文化の深化に大きな貢献をしていることも事実である。 アジア学院は様々な偏見と重荷を負いながらも「共に生きる」学習を志す者の集まりであり、日本人も例外ではない。日頃滅多に英語と接する機会のない学生が英語で苦労するのは、むしろ当然である。 その苦労を共に分かち合うところからモットーの具現化が始まり、英語に対する偏見も解消に向かう。そして、より正確な英語で意志の疎通を図る共同の努力がなされるのである。具体的には、発音や文法、適切な単語の選択などほとんど滅茶苦茶と思える人が何を訴えようとしているのか、全員で耳を傾け、意志が正確に伝わった時に、期せずして悦びの歓声があがる。「共に生きる」共同体を味わうのである。 「アジア学院の英語」は人を差別したり、人に優劣をつけるためのものではない。「共に生きるために」いかに英語を有効に用いるかが課題であり、お互いに接する態度の根源が常に問われるのである。 |
