学び舎の創設 > 農について - 2
| 農は人が生きるために一刻も欠くことができない仕事である。農の第一義的目的はいのちを豊かに支えることであって、経済的利益追求ではない。(前号参照)
農に生きる者を農夫―農婦という。農夫―農婦は間断無く、田畑、作物、家畜、山林、また自分が労してつくる食料をたべてくれる人々のことに心を砕く。暴風雨の時なども、昼夜の別なく全神経を研ぎ澄まして生きる。いのちを支えるために懸命なのだ。その様な人の顔は実に美しい。人が生きるべき生き方を生きる時に、自ずから備わる面構えであろうか。 農はひとりではできない。生きる厳しさを分かち合う相手が常に必要なのである。 まず自然環境:太陽や月の動き、それに対応して生の営みを繰り返す植物、動物、その他の生物、大気や水、土、気温、風などなどーーー春夏秋冬自然は間断無く変化しながら不動である。その厳然たる自然との合作で、いのちを支える食べ物を作らせていただくのは容易なことではない。気温や湿度の変化、植生や家畜また人間の生理、市場の動き、政策や社会の動向、科学技術の推移などを常に念頭において仕事をつづける。気が遠くなるほどの拡がりで整然と、また悠然と続く自然の営み。農はばかではできないのである。 自然だけではない。共に仕事をする仲間が要る。ご近所に同じ心根を持つ仲間がいないと農を続けることは至難である。「害虫」の発生、霜対策、畦の切り方、暴風雨対策、作物の運搬、建物や農具の手入れ等々、日々の仕事をこなして行くのには、先人の知恵などをその場で極めて具体的に話してくれる仲間が要る。 つくった食べ物を食べてくれる仲間が要る。食べ物の素晴らしさ、尊さをわきまえて、感謝をもって調理をし、よろこんで食べてくれる仲間が要る。文字通り手塩にかけて、自然との合作で作らせていただいた恵みの賜物―食べ物を、感動をもって、美味しそうに食べてくれる仲間が要る。生きる喜びを分かち合う仲間が要るのである。 アジア学院は農に生きることを学び、それに欠くことのできない仲間を世界中につくることをねがって、日々努力をしている。そのことをねがって参加する学生、ボランティア、職員、短期滞在者なども数多いが、そうでない人も多い。農に関する理解は学院内でもさまざまである。世界各地から集まっている学びの共同体だから、むしろ当然である。 お互いの理解の相違を尊重し、理解し、楽しみながら、これからの世界のいのちを支えるにふさわしい農のあり方のさまざまを追求しつづけるのである。楽しさが一杯の学び舎である。 |
