学び舎の創設 > 農について - 3

 

農はわたし達が働いて、いのちを支える食べ物をつくるという具体的な仕事であり、そう望むならば、誰でも何処でも何時でも日々実践できる(度合いの差はあるが)、極めて開かれた仕事である。(アジアの土97号、98号参照)

農の最大の特徴は、そこに秘められた大きな、大きな喜びである。「秘められた」というのは、秘密のベールに包まれて理解し難いという意味ではない。一旦志を立てて、たとえ一坪の土であっても、農にたづさわると、大きな喜びに浸ることになる。成長をする「いのち」を目の当たりにし、成長をたすけ、際限なく広がる「いのち」と共にある喜びである。自分も、極め難いいのちの荘厳の一部であることを知る喜びである。

その喜びについて、それが何処から湧いてくるのか、見てみよう。

一. 農においては、自分の全存在を挙げていのちを支え、豊かにする仕事が出来るーーその自覚が喜びの源である。今まで蓄積した経験、知識、判断力、体力、組織力等々、すべてを挙げて生きることが出来る。こような仕事が他にあるだろうか。土まみれになって、憑かれたように働いている若者を見ると、喜びがこちらにまで伝わって来る。

二. 農においては、いのちをはぐくみ育てる自然とのぢかの触れあいがある。自分も、そのいのちを分かち合っているという自覚から湧きあがる喜びがある。立っている自分のまわり一メートル四方の表土には、約5億個の草の種があるという。(日本の場合)そのような無数のいのちの芽生えを秘めている、優しい土に野菜の種を降ろす。土はそれを待っていたかのように働き始めて、野菜の種は数日後には根を出し、芽をだす。わたしたちもその営みに加わっている。お互いの働きに、掛け値無しに反応するのである。

農は、わたしたちの「いのちへの共振」を日々確実に体現する仕事である。 「いのちへの共振」を妨げるものは、他ならぬ人間であると言ってよい。

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