学び舎の創設 > 農について - 4

 

土は「自然といのちの接点だ」と書きましたが(第100号参照)、農についても同様の事がいえます。農の第一義的な目的はいのちを支えるたべものを創ることだからです。農は土を離れては有りえないのです。

これまでの人間の歴史は都市−工業化の歴史だといえると思います。その歴史の過程で、人間のは次第に(最近のは急速に)土から遠ざかり、いのちから遠ざかっているように思います。その具体的な事例を詳述する必要は有りません。私たちのライフスタイルを見れば明らかです。

人は自然や土を汚染し破壊することによっていのちを破壊している。自分のいのちを支えているあらゆる環境を汚染し破壊して、いのちから遠ざかって行く。そのことを知りながら、遠ざかって行く。私には、そう見えるのです。

人間は急速にいのちを感じなくなっている。自分のいのちからも通ざかって行く。そして人間全体が漠然とした、それでいて拭うことにできない不安感にとらわれているのです。近年マスメディアに「いのち」ということばがひっきりなしに出てくるのは、この不安感の端的な表れではないのでしょうか。その不安感はますます募っているようです。

学校給食に使われている食器が化学合成物質によってできており、それが猛毒のダイオキシンを毎日すこしずつ子供たちの身体に送り込んでいく。その問題は、ひとしきり新聞沙汰になった後、話題になることはありません。決着をつけないままに、次の話題に移るのです。

忘れたのではありません。忘れたふりをするのです。自ら自分のいのちを蝕みながら、それを知りながら知らぬ振りをする。見て見ぬふりをする。これは日本人だけの特技ではありません。

いのちを感じることはに乏しくなっている人間。いのちから次第に遠ざかっていく人間。それを感じながら、知らぬ振りをする人間。

どうすれば、「人と自然といのち」の全体を感じとり、いのちを共にフルに生きるようになれるか。自然の中にあって、土と共に働き、農に生きる人間の共同体を新しく創ること意外に道はないように思うのです。

アジア学院の使命はますます重大です。

 

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