学び舎の創設 > つつしんで生きる - 2

 

わたし達が生きている今は次の瞬間過去になる。同時にわたし達の今は刻一刻未来へ進む。 今は常に過去に根ざし、未来へ進む。その今をつつしんで生きる生き方を先人達は残してくれた。遠く平安の頃にはすでに定着していたことは源氏物語にも明らかである。

わたし達が受け継ぎ、次の世代へ引き継ぐべき日本文化を豊かに支えてきたのは、つつしんで生きる生き方である。一方、文化が滅びると、その生き方をあらわすことばも滅びる。

つつしんで生きるとは、過去のあやまちを繰り返さないように用心して生きることである。(前号参照)

用心とは、文字通り心を用いることである。心は人に付きものである。心を用いないで生きている人を本当に人と言えるのだろうか。

言わずもがなだが、人はまず食に心を用いる。生存の絶対条件である。赤子は生まれ落ちると直ぐに母親の乳をもとめる。生き物が等しく食を求めるのは本能である。人は食の求め方、与え方、分かち合い方で他の生き物とは際だって異なる存在である。

アジア学院はいま二九年目の研修に励んでいる。学生、ボランティア、職員と家族、短期滞在者たちが食を正しく守ることで、正しく望ましい食のあり方を創るために努力している。約20カ国から集まる多文化、多言語、多宗教の集団である。

手分けして働き、完全無農薬、無化学肥料の食べ物(穀物、野菜、食肉、乳製品など)を日々分かち合い、将来世界全体がそうあってほしいと夢を抱く。厳しく楽しい研修生活である。

しかし、日夜踏みしめている畑の土、その弾力やぬくもり、適度な湿度、そこに生きる無数の微生物や木や草の種(一平方メートルに約一億粒!)、風が運んでくるミントの香などが一朝一夕で成ったものではない。そこには少なくとも過去二八年間研修生活をした900名を越える卒業生たちや、それをはるかに越える数のボランティア、ワークキャンパー、職員たちの心がこもっている事を身体全体で感じ取っている人は多くない。

わたし達が五月下旬に植える稲の収穫は九月末、新米を味わうのは早くても十月下旬となる。今年の労働の結晶であるお米を食べて、研修をするのは来年度以降の人たちである。

わたし達は今、心をこめて、水田で働き、堆肥を切り返し、土を作るのである。つつしんで生きるのである。

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