学び舎の創設 > つつしんで生きる - 5

 

去年9月11日わたし達夫婦は、たまたまニューヨーク行きの飛行機で乗り合わせていた。緊急着陸したバンクーバーからバスで移送されてシアトル空港(米国)近くのホテルに辿り着いたのは夜9時過ぎであった。20時間あまり飲まず食わずである。

フロントで1時間ほどゴタゴタ揉まれた後、やっと部屋に入って、テレビのスイッチを入れた。そこで見たのは、あのおそろしいテロの光景である。

まず1機、つづいて2機目が2番目の世界貿易センターのビルに突っ込む。巨大で真っ赤な火の玉があがる。崩れ落ちる巨大ビル、巻き上がる砂塵、必死に逃げる群衆…おそろしい光景が繰り返される。そしてうわずった男性アナウンサーの声。「アメリカが攻撃されている。戦争だ、戦争だ!」

気分が悪くなった。それでも目はテレビに釘付けである。長い苦しい、悲しい夜であった。

つぎに映された光景はもっとおそろしかった。拳を振りかざした群集である。巨大な星条旗を背景に同じ方に視線を合わせた群集が拳を挙げて叫ぶ、

「やられたらやり返せ!戦争だ!」

白人は見あたらない。日頃下積みの少数民族、有色人種が今こそとばかり矢面に立とうとしているのでは?

人は平和より戦争、破壊の呼びかけに、いち早く呼応するのだろうか?「やられたらやり返せ!」テロ発生からわずか数時間、どのチャンネルも同じである。まるで予期していたかのようである。相手の特定もできていないのにである。

「戦争だ!報復だ!やっつけろ!」 群集は戦争、報復、破壊への呼びかけに応じて瞬時に1つとなるようである。そこには理性などは働いていないし、その余地もないし許されもしない。

平和への呼びかけはどうだろう。人間は何世紀も平和への呼びかけを、戦争や破壊を続けながら、繰り返している。が、「平和の世紀」といわれる21世紀は報復戦争で始まった。イエスは言う。「平和をつくりだす人はさいわいである。」(マタイの福音書5−9)

平和もさいわいも「つくりだす」ものなのである。日々刻々の努力があってはじめてつくり出せるものである。「果報は寝て待て」とはいかないのである。

そのたゆみない努力の中で理性が育ち歴史観や歴史認識もうまれるのである。

つつしんで、心を用いて、それぞれが今いる所で、万人の平和とさいわいをつくり出す努力を重ねよう。共に生きるために。

 

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