学び舎の創設 > つつしんで生きる - 6
| 第2回国際アジア学院同窓生研究集会がインドネシア・北スマトラで開かれ、私たち夫婦は全期間参加した。今年3月中旬のことである。地元インドネシアから20名、インド、スリランカ、マレーシア、日本から10名、合計30名であったが、次年度入学予定者その他、部分参加者を加えると約50名であった。
大小8000以上の島々からなるインドネシア共和国は広大な国である。スラヴェシ島から片道8日かけて参加したヨハニスさん(83年卒)は、同じインドネシア人でも人種も言語も北スマトラのバタック族の卒業生とははっきり違う。それが同じアジア学院で学んだ(年度は違う)というだけであった途端にまるで兄弟姉妹のようになるのである。和やかで感動的、また真剣な研究集会であった。 感動的といえば、これら卒業生の帰国後の働きである。 それはわたしたちの期待や創造をはるかに超えるものだった。中には卒業生3人で農民銀行を立ち上げ、それが立派に成長して、政府機関も一目おいているという。 文化的伝統などはメダンのような都市や観光地から遠ければ遠いほど色濃く残っていた。ある農村協会での、頭のてっぺんから足のつま先まで手織りの民族衣装に身を包んだ、農民による伝統舞踊は圧巻であった。あの手や腕のかすかで優雅な動き、腰や足、体全体が醸し出すつつましやかで繊細な雰囲気 - とても先程まで田畑で労働していた農民とは思えない。 お能や仕舞のように鍛錬を重ねた美などではない日常生活に密着した、つつましやかな動きがそこにあった。観る者をつつましやすくするものがあった。 しかし、総体的にいえば、都市化、欧米化、ライフスタイルの変化の波は圧倒的にインドネシアの文化を変えつつある。ある夜、メダンからの学生グループの文化祭に招待された。民族衣装をまとった伝統舞踊から始まるのだが、それははじめの4分だけであった。後は耳をつんざくゴーゴーミュージックが延々と続く。その中心にはヨーロッパからだという年配の夫婦がいた。つつましさのかけらも感じられなかった。 約2週間のインドネシアへの旅は、新たに卒業生に出会うという喜びのほかに大きな課題をももたらしてくれた。インドネシアやほかのアジアの人々にとってつつましく生きるとはどんな意味を持っているのかということである。 |
