学び舎の創設 > つつしんで生きる - 8
| 「サイケデリック」という語がある。
30数年前、わたし達親子がロサンゼルス郊 外のパサデナで学んでいた頃に頻繁に用いられていた。 辞典には「幻想的。覚醒剤によって生ずる幻覚状態に似たさま。この状態を想起させる極彩色の絵、デザイン、服装などについてもいう。」とある。 世相は容易には変わらないものらしい。近頃毎晩のように見かける若者向けの深夜番組―あれはまさしくサイケデリックだ。極彩色の絵、デザイン、服装、いまの方がもっとサイケデリックかもしれない。世相の変遷は緩慢であると同時に確実である。幻覚的である。 最近注目すべき「先祖帰り」がはやっているらしい。アジア学院から車で数時間北方に「原始ムラ」ができたという。そこへは見学のグループが押しかけているという。シンプルライフに憧れてのことだろうか。 アジア学院が発足したほぼ1年前、車で約20分ほどの山奥に電気も水道も引かない、新聞もとらない、ラジオもテレビもない、愛すべき小さな共同体が発足した。が、30年の間に大きく変わってしまった。代替わりもあった。なによりも、まわりの社会が放っておかなかったのである。いまでは電気もテレビもあるし、自動車も数台あって、たまごなど農産物の出荷も盛んである。 日本でも、昭和の初期からさまざまな「新生活運動」が発足し、さまざまな影響を与え、多くの見学者を集め、あるいは変身し、あるいは変質し、また消滅していった。残っているのは数少ない。 日本だけではない。人類は有史以来、より良い生活を求めて小さな「共同体」や「運動体」をつくり、「新生活運動」をくりかえしてきた。なかには「国家」のへだたりを超えて、哲学や宗教などを共有する「新生活運動」を世界各地に展開してきた。人類の歴史の流れに乗って連綿と続いている。1600年ほど前に北アフリカの砂漠に端を発した「新生活運動」がヨーロッパを席巻し、かたちを変えながら世界中に広がって今にいたっている。 現今の「新生活運動」、それに群がる見学者達は、シンプルライフに憧れての事だろうか、その基盤にあるものは何か。受け入れ側も訪問グループも単なる野次馬なのだろうか。 決め手になるものは、その運動が未来志向の明確な理念を持っているか否かにかかっているように思う。その基盤が「つつしんで生きる」ことだと思う。 今年も、はやクリスマス、お正月の季節である。しずかに、つつしんで、神の愛がすべてのもののうえにあるように祈るものである。 |
