学び舎の創設 > 創立三十周年 2
はや2年になるのか。あの連続同時多発テロ事件のことである。2001年9月11日。あの日の出来事は世界を一変する。際限なく悪い方へと変わって行くのである。 もちろん創立30年のアジア学院もその甚大な影響下にある。あの日私たち夫婦はたまたまニューヨークへ向かって飛んでいた。幸運にもあのテロ事件を機長がキャッチして、搭乗機はカナダのバンクーバーに緊急着陸した。早く着陸したのがさいわいしたのか、航空会社が手配したチャーターバスで、その日のうちにアメリカのシアトルに入り、そこで一週間をすごし、テロ直後のアメリカ社会の一端をかいま見ることができたのである。 問題はテロそのものよりも、それに対するアメリカ社会の反応にあると思う。テレビはどのチャンネルも同じ。巨大な星条旗を背景にラフな格好をした群集が同じ方向を睨んで拳をふりあげ、目には目を歯に歯を、やられたらやり返せ、報復だ、復讐だ、と叫んでいる。まるでやらせである。2百数十年にわたって営々と培ってきたアメリカ民主主義、自由と平等、機会均等の国、移民の国アメリカ−私自身も多くを自由に学び、友人知己も多いアメリカはどこに行くのだろう?たった一つのテロ事件で覆るほどアメリカ民主主義はもろいのか。合衆国はただの「烏合の衆」なのか?ただのモブだったのか?あの高邁な独立宣言やアブラハム リンカンの言葉はただの飾りなのか。 3週間後、膝を交えて話し合ったアジア学院の学生たちは冷静であった。アジア、アフリカの自分たちの国々ではテロは珍しくない。ほとんど毎日である。それが何世紀とつづいている。たった1回のテロで世界をひっくり返すの騒ぎを起こすのは理解できない。信用から疑惑の社会へ、善意から悪意の社会へ。まるで逆ではないか。何のためだろう? アジア学院は創立30年、豊かな歴史のうえにたっている。何世紀もの豊かな善意の歴史の積み重ねの上に立っている。アジア学院のモットーは「共に生きるために」である。人間だけではない。生きるものすべては生きものを食べて生きている。他の生きものに自分たちのいのちの一部をさいてくれている。私たちが生きているのは他の生きものがそのいのちを割いているからである。私たちは生かされているのだ。 アジア学院に集う私たちは感謝しつつ身も心も使って、大自然の中で自給自足に近い生活をしている。生きること、働くことが即学びである。食糧生産活動が近隣農家にとって経済的圧迫にならないよう心を砕いている。末永く共に生きるてだてである。 テロはテロを生む。組織暴力対組織暴力である。目には目を、歯には歯を、やがてテロにはテロをとなるであろう。共に生きるために日夜努力するアジア学院はテロ、暴力行為に反対する。 |
