学び舎の創設 > アフリカについて - 1

 

アフリカといえば、まず思い起こすのはママ・チアのことである。彼女はアジア学院の学生として二度学院にきた。1987年と1992年である。


ママ・チアはたちまち学院全体の人気者になった。彼女は“生まれつきの”(もしそういうものがあれば)リーダーとしての素質を充分にもっていた。

自分の国、スワジランドは、当時人種隔離政策(アパルトヘイト)で有名な南アフリカ共和国にとり囲まれた小さな存在であった。

他にもスワジランドのような国々が、圧倒的な武力を持つ“共和国”に取り囲まれるようにして、生きていた。
ママ・チアによれば、スワジランドその他の土地は長年にわたる農薬、その他の連続乱用で一面の荒地となっていた。

何とかしないと、間もなく自分達は飢えてしまう。

 

世界教会会議(WCC、在ジュネーヴ)の奨学金委員会は、ママ・チアに

“アジア学院に行きなさい。あそこでは、有機農業その他をやって、非常に高い食糧自給率を保ち、土はますます良くなっています。

費用は、旅費その他一切委員会がもちます”。
村人達は大喜びで、ママ・チアを送り出した。ああ、これで自分たちも、子どもたちも飢えなくてすむ。

ご本人も、村人たちの期待をずっしりと感じながら、張り切って学院へきた。


ママ・チアは学院では野菜作りを勉強した。帰国後、村人達が清浄野菜をドッサリ食べ、健康で労働力の高い意欲ある村人づくりをまず手がけよう。
彼女は学院で学んだ土づくり、ボカシ肥料づくり、野菜づくり、家庭の生活改善、野菜を毎食沢山食べること、つまり家庭の生活改善指導に専念した。

結果はすぐに村人の健康状態にあらわれた。

健康な村人達は、自分たちが野菜をウンとつくりウンと食べるのは、ママ・チアがアジア学院へ行って、勉強してきたからだと、話しあった。
良い結果は、すべてアジア学院とママ・チアのせいにされてしまったのである。そこには、ある種の“力”が秘められている。

その“力”が何であるかを知る能力、器量をリーダーは身に付けていなければならない。


さて、わたしが南アフリカ共和国を訪ねたのは、あの国がまだ人種隔離政策(アパルトヘイト)をその国の政策として実行していた頃である。

日本人が街で新聞を買っただけでマークされた頃である。その頃の経済・社会状況と現在とはあまり変わっていないのではなかろうか。

人が長い年月、営々と作り上げてきた経済・社会構造は一朝一夕に変るものではない。

そこには、人間が幾世紀にもわたって築き上げてきた社会の仕組みがある。価値観がある。
その頃のことではあるが、わたしがご厄介になっていたカトリックの宿舎から眼下に道路と鉄道が平行して走っていた。

その沿線に広大な農地が拡がっている。見渡す限りの肥沃な農地である。持ち主は白人、労働は黒人である。
わたしは、とくに黒人に言いたいのだが、

頑張ってほしい。忍耐強く、穏やかで,力強く、あのママ・チアのように農民の生活改善のために。

 

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