紀元前の話しである。
イタリアのローマが権力の中心となって、地中海文明を形成していた頃のことである。海に接した北アフリカは、当然のことながら、地中海文明の一端を担う重要な役割を果たしていた。それ以前、ギリシャがトルコとならんで、さらに東方のアジアを望んでいた頃のことは、残念ながら割愛しよう。
ここではサハラ砂漠以南のアフリカに関心をよせる。よく言われることだが、アフリカ南部の黒人こそが人類発祥の源である。
“それはそうだろう”、と定見のないわたしなどはすぐに賛成してしまう。
“黒”という色はすべての色の集大成である。だから美しい。黒を分析すると、美しい色がきらびやかにでてくるのである。おしなべて、式服の基調は黒である。世界共通だ。
わたしの友人で,年上の日本人の男性がいる。彼は服一着を愛用している。黒い背広である。四季を通じて同じ上下で、ネクタイも黒、シャツは薄汚れた白だが、昔は真っ白だったろう、と見る人の想像力にたよっている。これさえあれば「冠婚葬祭,いつでもこいだ」と彼は澄ましている。
さて、サハラ砂漠以南のアフリカから今年も学生が6人やってきた。33人中6人である。正直言ってわたしはホッとする。と言うのは、彼らは落ち着いているからである。なけなしの知識を喋りたてたりしない。口数少なくポツリポツリと話す。が、言うことは課題の核心をついている。農村のリーダーは、そうありたいものである。
アフリカからの1人はとりわけ大きい。日本人の中でも子男(こおとこ)であるわたしの目の前に熱心にメモをとっているアフリカ女性がいる。着ている服の青はその人の黒い肌の色に合って、並々ならぬ色彩感覚の持ち主であることが分かる。あの大きなアフリカ大陸にあって、経済的な援助の対象としてしか報道されないアフリカの人々は、実は豊かな文化に生きる人々なのである。一口に“青”と言っても、いろいろ(色色)あることは、皆さん百もご承知である。アフリカの人々も同様だ。いや、着ている青い服、それにほどこした、様々な色のデザイン、様々な黒を基調にした肌の色にマッチした異なる色のデザイン…。アジア学院では、 個人が自由に、どんな色合いでも格好でも、まず着てみるのである。
間もなくわたしの講義もおわり、1メートル70は優にあろうかと思われる長身の彼女は、45センチほどの階段を(腰掛けると椅子にもなる)手すりに掴って登りはじめた。
アジア大陸の東端に、牡蠣ガラのようにくっついた小さい島国日本。せまりくる欧米の勢力に合流して、アジアの人々の顰蹙を買いながらも、いち早く欧米化し、また都市化し、あたかも“先進国”であるかのように振舞っている日本で、アジア学院の学生たちは何を学んで帰るのであろうか?アジア学院の職員は学生たちに何を学んで欲しいのだろうか。
不断に考えねばならない課題である。
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