学び舎の創設 >
| よく言われる事だが、二度あることは三度ある。
さきに、最愛の妻、優子さんを交通事故で失った、八木澤正さんの御尊父、啓造さんが逝かれた。8月9日と朝日新聞の栃木版に写真入りで報道された。長い間の闘病生活の後であった。ご愁傷様である。 優しい芸術家肌の人で、世界教会会議の工芸専門家としてフィリピン、インドネシア、タイなど東南アジアでも竹工芸の指導をされた。現地の人々はそこにふんだんに生い茂っている竹を用いて、先祖代々なんの改良もしないまま、使っていたものも、多々あった。啓造さんはその改良に取り組んだのである。永年使ってきた物や事柄を改良することは至難の業である。啓造さんの人柄がそれをやってのけたのである。 また作家水上勉さんに乞われて越前竹人形の竹をお世話されたこともある。なんでも大田原近辺の竹には特性があり、パンダの餌として日々上野動物園に出荷されるばかりでなく、竹工芸に適したものとして全国竹工芸家の羨望のまとである、と聞いた。啓造さんは竹をコヨリのように細く薄くして、チョウチョウなどをつくり、紙箱に入れて、一箱30円ほどで売って、一家の生活をささえた。 わたしとは同じ寅年(トラ)で、いまの当主・正さんが小学校に上がる前、鶴川時代からのおつきあいである。50年以上にもなろうか。その頃啓造さんは大田原の小さな家に住んでおられ、ガラス戸を開けっ放しにした道路から手の届くような小さな暗い自宅で、チョウチョウを作っておられた。 啓造さんは眼に特徴があった。優しくも鋭く、すべてを見通し、人の心をも見通す眼、その眼で見られると、なんとなく安心感がわくあの眼である。 ご臨終の際を記した新聞記事によると、すでに最後が近いことを悟った啓造さんは奥様をはじめ家族の皆さまを病床のまわりに集められて、あの優しい眼で一人一人をじっと見つめられた。無言である。言葉の必要はなかった。静かな、見事なご臨終である。 [八木澤啓造さん] |
